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プライベート・プレス──書物と紙片にまつわるエトセトラ
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DATE: 2012/06/18(月)   CATEGORY: 随想録
美への献身、真実の美
 毎日を過ごす上で、いつも心に留めている言葉があります。


  「小さくとも、思い高く、
   一本の花を、一冊の本をそだてるのだ。
   微笑みの種子を播き、──
   誰にも知られずに、花ひらくまで。」

             ……エミリ・ディキンスン


   エミリ



 そして、そのような花を咲かせている方に出会うと、自分の背筋がピンと伸びるような、とても厳粛で、神聖な心持ちになります。


 花を育てる……それは、孤独を知るということと同義であるように思います。そして孤独とは、誰も侵犯できない、その人だけの花園。その花園の燦めきこそが真実の美である、と言い切ってしまいましょう。そこに花が咲き乱れ、美しい風景となっているからこそ、他者の花園をエレガントに訪問できるのです。

 花園に花を咲かせることは過酷な作業です。現代のような困難な時世にありながら、惜しみなく無償の愛を注ぐことはきれい事として片付けられることが多いかもしれません。しかし、その奇跡は確実に存在します。花園を持つ方々の存在がその証です。

 花を咲かせること、花園を維持することの過酷を知るからこそ、他者の花園を尊重できるのではないでしょうか。花園の門の鍵をこじ開けて訪れようとしたり、育てた花々を踏みしだいたりすることは、花園を持たない者のすることです。

 花園には清廉な空気が流れ、美しい蝶たちもどこからともなく自然に集まってきます。

 自身の内に種すら蒔かれていない者ほど、美しい蝶を集めるために、必死の形相で蜜を振りまき、自身をセールスしようとします。開かれっぱなしの慎ましさに欠ける門、その門の奥には干上がったひび割れた土地が広がるばかりです。雨を予感させる遠雷すら聞こえません。

 花園は、清らかな水が流れる場所であると共に、退廃へと至ってしまうような豪奢な精神性をも育みます。芸術や美を生むため、芸術や美を観賞するためにはなくてはならない場所です。

 その場所の存在すら知らない方々とは、決して縁を持ちたくありません。なぜなら、その花園は清廉であるほど繊細、鈍感な者たちの進入や開墾にはなすすべもないからです。その者たちが跋扈する陰に、繊細で弱々しい人達の犠牲があります。その構造は決して変化することはありません。ならば、その者たちと、縁を持たなければ良いのです。

 

 *



 本日、二階健さまの新作写真展《世界悪女物語~大人時代篇》にお伺いし、今回モデルをつとめられた画家の安蘭さまにお会いし、気高き花園持つ人は、声高にせずともおのずと周囲には人が集まり、集まった人もみな幸せを頂いてゆくのだわ……と、改めて実感した次第です。

 「聖性」というものを深く考えさせられた、素晴らしい作品群でした。猟奇的な世界を描いていながら、其処にはどこまでも澄み切った空気が流れていました。それは、エリザベート・バートリが持つ孤独を、誰も侵犯できない聖域として描ききっていらしたことに起因するのではないかと思われます。

 クリエイターの二階さま、モデルの安蘭さま、お衣装のHIROKOさま、御三方の美への献身が綾なして、抽象的である美を「確かなもの」として存在させていました。見事としか言いようがありません。



 安蘭さまのように、花園の美しさのみならず、お姿も最高に美しく、紡ぎ出す美も素晴らしい方がこの世に存在すること……この事実を知り得ただけで、神様に感謝です。

 会場には、安蘭さまの個展DMが置いてありました!

 安蘭個展《花蜜のアンフラマンス》2012.9.10~15 銀座・ヴァニラ画廊

 ~アンフラマンス~「知覚域を超えた薄さ」という意の造語。
 知覚と感覚の曖昧な次元の狭間にて、朧げな霧のように漂う余韻と気配。
 馨り立つような艶麗なる花蜜のひとしずくを是非御高覧下さい。
              ……《花蜜のアンフラマンス》DMより抜粋



 なんてなんて心を震わす世界観でしょう……
 素晴らしい初秋になりそうです♪
 




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