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プライベート・プレス──書物と紙片にまつわるエトセトラ
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短編童話《霧の中の娼館》
足型の香水瓶 に寄す

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王族が幽閉された歴史を持つその塔には、どこを探しても娼館の印はない。例えば薄紫色の帽子の縫いの目に、あるいはピンヒールの底の引っ掻き傷に、その娼館の地図はこっそりと刻まれている。わたし達の身の回りの諸々至るところ、しかし普段はあまり目にとめない陰のような場所に、その地図は小さく深く刻まれている。神経質で細やかな気質の人が気づくかと言えば、そうとも限らない。何かふとした具合、光線の関係とか湿度の変化とか、そんな一見無関係に思える現象が精密機械のようにかみ合って動き出した時、ミニアチュールのごとくその地図は姿を現す。

その娼館の外壁は古い石組と蔓性の植物で覆われ、見上げると、空へと打ち込まれた巨大な墓標のように、超然と屹立している。スペード模様の細工が施してある鉄格子が、ところどころ、かろうじて蔓性の植物の隙間からのぞいている。扉に違いないそれは、長い間ひとの訪れがないのか、それとも植物の成長が異常な速さなのか・・・ひとの来訪を歓迎しない様子である。その扉の前に今、地図を手にしたRは立っていた。

Rは塔の周囲をぐるりとまわり始めた。直径にして約4メートル、古びた塔とは対照的に、足下にはきれいに刈り込まれた芝が青々としている。やはり人の出入りがあるのだろうか・・・塔の詳細が判然としない中で、Rはなおも周囲を巡っている。ふと肌に、ひんやりとした冷えを感じたかと思うと、あたりに霧が立ちこめてきた。霧はまたたく間に塔を包み込み、Rは塔の外壁を手で探りながら、ふたたび歩き出すしかなかった。と、いままでとは違う触感が手に伝った。鉄格子から蔓性の植物が消え失せ、扉が姿を現しているらしい。扉は簡単に開いた。

塔の中へ入ると、鈍い音をたてて扉は閉まり、蔓性の植物がふたたび扉を封印しているような、かさかさとした摩擦音が耳に届いた。塔内は壁面に蝋燭がともり、薄暗く、上へと続く螺旋状の階段があるだけだった。Rは、深紅の絨毯が敷いてある階段をのぼり始めた。左側の壁面に規則的に現れる蝋燭以外は、これといって何もない。むき出しの石組の壁面は左側のみで、右側の壁面には玉虫色の緞子が張られていたが、そのことをさして不思議にも思わず、Rは上へと歩を進めた。

深紅の階段ばかりを見つめながらのぼってきたせいだろうか、異常な目の疲れを感じてRは立ち止まった。蝋燭の下の壁にもたれ掛り、瞼を閉じてしばらく休息をとった。そしてRがまた歩きだそうとした時、いままで緞子だけだった壁面に、ケーキ皿ほどの丸い額縁が飾られていることに気が付いた。それは金縁のたいへん豪華なものではあったが、不思議なことに、その内側には深紅の天鵞絨が張られているだけで、絵画などはおさめられていない。見渡すと、壁面のあちこちに、このような額縁が飾られている。Rは何気なくそのひとつに触れてみた。 

張られている、と思っていた天鵞絨には、短冊状にいくすじも切れ目が入り、Rの指は、その切れ目から額縁の奥へとすっと入っていった。思いがけない出来事にRは一瞬たじろいだが、もう一度、その切れ目に指を伸ばした。天鵞絨は伸縮性の素材らしく、切れ目を両手で開くと、ぽっかりと、深い闇が姿を現した。見つめるほどに、闇はさらに深く沈み込むような重さを増し、香水と体臭が入り交じったむっと籠もる匂いが、闇の奥からRの鼻をついた。

蝋燭の灯がかすかに揺れた時だった。緞子の壁の丸い額縁から、一本の足がぬっと現れた。それを合図に、方々の額縁という額縁から、足という足が次々に現れる。華奢な足、肉づきの良い足、幼さの残る足、肌に年輪が宿る足・・・そのどれもが白磁のような肌色で、ほんのりと薄紅がさしてある。腿から膝にかけてのなめらかな曲線、膝頭の盛りあがり、ふくらはぎの張り具合などが、蝋燭の灯に照らされて、銀粉を含んでいるように美しく輝いていた。腿のつけ根を縁取る金色の豪奢な額縁は、白磁の肌を調教するかのごとく、きっちりとそれら一本一本を締め上げていた。そしてそのどれもが、足先に黒光りのピンヒールを身につけていた。Rは、心臓を鷲掴みにされたような激しい胸の痛みを感じた。・・・ほかでもないRの足元にも、同じ黒光りのピンヒールがあった。 


この娼館は、時に来訪者にこの世の至福を与えるが、時に食虫植物のごとく、娼婦を捕獲する館と化す。Rが消えた後、階段にはピンヒールの靴跡がひとつ、黴の胞子で刺繍された図案のように、残されていた。

香水の一滴すなわち霧深き地からの呼鈴 肌をつつむころ
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