Club Noohl
プライベート・プレス──書物と紙片にまつわるエトセトラ
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DATE: 2012/06/21(木)   CATEGORY: 随想録
嵐の夜の静寂
 台風の夜、セラフィムの中元さま、腹心の友ルカさんと共に、銀座・王子ホールにて開催されたリサイタル《アレクサンドル・タロー&バティスト・トロティニョン》に行って参りました。クラシックとジャスのピアニストによる二台のピアノの演奏会。



★プログラム★

2012.6.19

バルトーク
「ミクロコスモス」

演奏:タロー&トロティニョン

トロティニョン
「2台のピアノのための4つの小品」より
「HOME」

演奏:タロー&トロティニョン

ラモー
「新クラヴサン組曲」より
「ガヴォットと6つのドゥーブル」

演奏:タロー&トロティニョン

ミッシェル・ルグラン
「愛のイエントル」

演奏:タロー

トロティニョン
「即興曲」

演奏:トロティニョン

ピアソラ
「リベル・タンゴ」

演奏:タロー&トロティニョン

トロティニョン
「2台のピアノのための4つの小品」より
「賛歌」「ラングサム」
「ミュージック・フォー・ア・ホワイル」

演奏:タロー&トロティニョン





 黒衣のピアノをはさんで交わされる音楽の対話は、絵画的にとてつもない美をふくんでいました。空間にくっきりと浮き出されたピアニストの二つの横顔……(下の記事に書いたばかりの)スキャパレリとプラダの架空の対話をバズ・ラーマンが映像化した場面を想起しました。

S-P-I-C.jpg
スキャパレリ(ジュディ・ デイヴィス)とプラダの横顔


 どちらにも、二人の間には、漆黒の闇たる領域が存在している……それは、決して縮めることのできない、絶対的に確保されている距離なのだとつくづく思いました。

 距離を保ったまま、二人の関係は深まってゆく……奏でられる音色は、ピアニスト自身でも、ホールという空間でも、私たち観客でもなく、二人の間に茫々と横たわる漆黒の闇へと消えてゆくようです。

 モノローグでもなく、ダイアローグでもない、第三の発話たるその悲哀にまず心を打たれました。距離への諦念は、世界の闇に触れてしまった者(芸術という深淵に触れた者)のみが持つことを許される詩情なのかもしれません。永遠に近づくことができないふたつのたましいが、それ故に、一閃の音色を散らす……この世に落とされた奇跡のひとしずくでした。

 二台のピアノによるラモーは(最も好きな「ガヴォットと6つのドゥーブル」なだけに尚、)衝撃でした。二台で同時に演奏するのではなく、最初にタローさんがクラシックのスタイルで弾いた後、同じ曲を今度はトロティニョンさんが編曲して返します。

 タローさんの紡ぐ孤高のラモー……なんてなんて心を震わす音色なのでしょう! 2007年に初めてリサイタルで拝聴、その禁欲的でモダーンな音色にいっぺんで魅せられました。それはまさに祈り。これほど純真なる祈りの言葉がこの世にあるでしょうか……溜息ばかりがこぼれました。


 演奏以外で印象的だったのは、ソロ演奏時、演奏のないもうひとりのピアニストが舞台から下がるのではなく、舞台上手後方でお相手の演奏を温かく見守っていたこと。風景として、とても素敵でした♪


 そしてそして、アンコールにて、「別の意味で」奇跡の瞬間が訪れました……なんと、バッハのカンタータを「連弾」されたのです……! 美しき青年二人が横顔を並ばせ、時に頬を寄せながら(半分妄想)、旋律を紡いでいきます。その美しさはまさに、禁じられた美。永遠に近づくことが許されないふたつのたましいが、一刹那すれ違い、また別れてゆく……その横顔のなんという哀感。

 スカルラッティ(Sonata K141 in D minor Allegro)の競演もラモーの形式で、タローさんの繊細優美な音色が闇へと消え、トロティニョンさんへ。トロティニョンさんのご演奏はおそらく即興。


 見目も麗しい、最大級にたましいが揺さぶられた一夜でした。

 ・

 終演後、激しい雨ゆえ少し館内で待ってみようと、サイン会中の美しきタローさんのお顔を三人で拝んでいたところ・・・なんと、目映いばかりのサインをゲットした畑さんに偶然お会いしました! そして、我らも便乗とばかりに速攻CDを購入(タローさんのソロCDは全部持っていたため、一番好きな《私的な日記》を再度購入)、わくわくどきどきで列に並びました。

 順番になり、相まみえたところ・・・神々しいとしかいいようのない完璧なる美しさに眩暈を覚えつつひれ伏して祈りを捧げそうになりました。。。神が作りしたもう被造物とは、かようなものである! と。


AT.jpg
タローさんのサイン♪ 


 その後、夢から覚めやらぬ心地のまま、四人でラデュレに移動。台風襲来が近づいているせいでお店の半分は既に灯りを落とし無人でしたが、嵐の心配より今宵の夢心地優先の人間四名、その到来を温かく(と思いたい)迎えて下さり、美味しい紅茶とデザートで今宵の祝杯をあげました。

 美意識を同じくする方々と、掛け替えのない時間を共有できることは何にも増して格別です。今宵の音色を思い出すたび、ラデュレでの燦めきの時間(……トム・クルーズの映画は全部見ている事件含む……汗)も等しく思い出されます。美しい記憶がまたひとつ仕舞われました♪ ぜひまた語らいのお時間をご一緒させてくださいませ。


 *

 2007年に拝聴したタローさんのソロ・リサイタルも嵐の夜でした。→感想

 嵐の夜、タローさんの音色が満ちる場所だけに、静寂が存在している……
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DATE: 2012/06/19(火)   CATEGORY: 随想録
現代の詩人
 メトロポリタン美術館のコスチューム・インスティチュートにて、《Schiaparelli and Prada: Impossible Conversations》が開催中ですね♪ 残念ながら行くことはできないので展覧会カタログを注文、昨日、カタログの4倍ほどの大きさの段ボールにて無事到着致しました。

SP.jpg
カタログ・表紙
デザインはかのペンタグラム
所々に小さな頁が挟まれている凝った作り


 この展示は、伊太利亜の二人のファッションデザイナー、エルザ・スキャパレリとミウッチャ・プラダをテーマに、「Hard Chic」「Ugly Chic」「Naïf Chic」「The Classical Body」「The Exotic Body」「The Surreal Body」「Waist Up/Waist Down」という七つの切り口で、時空を越えた二人(の衣服)を対話させるというもの。

naifchic.jpg
「Naïf Chic」展示風景(メトロポリタン美術館サイトより)

 こうして出会った衣服群のなんという神々しさ・・・それぞれの「現代」、「今」というポエジーを紡ぐ詩人たちの沈黙の朗読劇を観ているかのようです。

 皮膚という境界線に寄り添うやさしさ、一瞬の燦めき……それはまるで儚い命のよう……を宿す哀感、衣服こそ詩であり、ファッションデザイナーはいつの時代も時を紡ぐ詩人です。


 心躍ることには、かのバズ・ラーマン監督が、七つの切り口ごと、二人の架空の対話を映像化しています。字幕つきでDVD化希望♪ 展示風景映像とともに、メトロポリタン美術館のサイトで観ることができます。

→映像



 ファッションデザイナーは詩人だと思っています故、シャネルやプラダなどのお店へ行くことは、画廊に美術作品を観に行くような感覚に近いです。詩人と職人たちが紡ぐ、希有なるポエジーが其処には眠っています。

 オブジェ作品を制作していますので「コーネルがお好きですか?/コーネルに影響を受けていますか?」とよく聞かれるのですが(もちろん大好きですが)、むしろ、カール・ラガーフェルドやエディ・スリマン、ミウッチャ・プラダに影響を受けています♪ ポエジーという意味においては。

 ……というわけで、明日もMIUMIUとシャネル、観に行こうっと♪
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DATE: 2012/06/18(月)   CATEGORY: 随想録
美への献身、真実の美
 毎日を過ごす上で、いつも心に留めている言葉があります。


  「小さくとも、思い高く、
   一本の花を、一冊の本をそだてるのだ。
   微笑みの種子を播き、──
   誰にも知られずに、花ひらくまで。」

             ……エミリ・ディキンスン


   エミリ



 そして、そのような花を咲かせている方に出会うと、自分の背筋がピンと伸びるような、とても厳粛で、神聖な心持ちになります。


 花を育てる……それは、孤独を知るということと同義であるように思います。そして孤独とは、誰も侵犯できない、その人だけの花園。その花園の燦めきこそが真実の美である、と言い切ってしまいましょう。そこに花が咲き乱れ、美しい風景となっているからこそ、他者の花園をエレガントに訪問できるのです。

 花園に花を咲かせることは過酷な作業です。現代のような困難な時世にありながら、惜しみなく無償の愛を注ぐことはきれい事として片付けられることが多いかもしれません。しかし、その奇跡は確実に存在します。花園を持つ方々の存在がその証です。

 花を咲かせること、花園を維持することの過酷を知るからこそ、他者の花園を尊重できるのではないでしょうか。花園の門の鍵をこじ開けて訪れようとしたり、育てた花々を踏みしだいたりすることは、花園を持たない者のすることです。

 花園には清廉な空気が流れ、美しい蝶たちもどこからともなく自然に集まってきます。

 自身の内に種すら蒔かれていない者ほど、美しい蝶を集めるために、必死の形相で蜜を振りまき、自身をセールスしようとします。開かれっぱなしの慎ましさに欠ける門、その門の奥には干上がったひび割れた土地が広がるばかりです。雨を予感させる遠雷すら聞こえません。

 花園は、清らかな水が流れる場所であると共に、退廃へと至ってしまうような豪奢な精神性をも育みます。芸術や美を生むため、芸術や美を観賞するためにはなくてはならない場所です。

 その場所の存在すら知らない方々とは、決して縁を持ちたくありません。なぜなら、その花園は清廉であるほど繊細、鈍感な者たちの進入や開墾にはなすすべもないからです。その者たちが跋扈する陰に、繊細で弱々しい人達の犠牲があります。その構造は決して変化することはありません。ならば、その者たちと、縁を持たなければ良いのです。

 

 *



 本日、二階健さまの新作写真展《世界悪女物語~大人時代篇》にお伺いし、今回モデルをつとめられた画家の安蘭さまにお会いし、気高き花園持つ人は、声高にせずともおのずと周囲には人が集まり、集まった人もみな幸せを頂いてゆくのだわ……と、改めて実感した次第です。

 「聖性」というものを深く考えさせられた、素晴らしい作品群でした。猟奇的な世界を描いていながら、其処にはどこまでも澄み切った空気が流れていました。それは、エリザベート・バートリが持つ孤独を、誰も侵犯できない聖域として描ききっていらしたことに起因するのではないかと思われます。

 クリエイターの二階さま、モデルの安蘭さま、お衣装のHIROKOさま、御三方の美への献身が綾なして、抽象的である美を「確かなもの」として存在させていました。見事としか言いようがありません。



 安蘭さまのように、花園の美しさのみならず、お姿も最高に美しく、紡ぎ出す美も素晴らしい方がこの世に存在すること……この事実を知り得ただけで、神様に感謝です。

 会場には、安蘭さまの個展DMが置いてありました!

 安蘭個展《花蜜のアンフラマンス》2012.9.10~15 銀座・ヴァニラ画廊

 ~アンフラマンス~「知覚域を超えた薄さ」という意の造語。
 知覚と感覚の曖昧な次元の狭間にて、朧げな霧のように漂う余韻と気配。
 馨り立つような艶麗なる花蜜のひとしずくを是非御高覧下さい。
              ……《花蜜のアンフラマンス》DMより抜粋



 なんてなんて心を震わす世界観でしょう……
 素晴らしい初秋になりそうです♪
 




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DATE: 2012/06/15(金)   CATEGORY: 随想録
半喪と菫色の小部屋
 半喪の小部屋が幕を下ろしてから10日ほどが経ちました。

2hanmo_17.jpg
《影の王国》2012



 多くのお客様が貴重なお時間を割いてお立ち寄り下さり、半喪の小部屋で羽根休めをするかのごとく、思い思いに過ごされているご様子が遠い昔のことのように、薄霧の奥にかすむ幻影のように、美しく思い出されます。


 はじめてお越し下さったお客様から頂いたご感想……「全体を通して『祈り』を感じました。」また、「息をするのも忍ばれる程……」「息をするのを忘れて……」等々、こちらのささやかな想いがまっすぐに届いたことを知り、感激で胸いっぱいになりながら芳名帳に目を通しました。


 会期があけてまもなくの記事でも書きましたが(→こちら)、展覧会は、たましいを削りながら孤独のうちに制作した祈りと、ご自身の貴重なお時間を削って訪れて下さったお客様の無償の愛が出会う、極めて清らかな場所です。

 敬愛申しあげる作家さまの展覧会に足を運び、そのひとつひとつの作品に込められた祈りの重さを知り、展覧会とはどのような場所であるべきか、私なりに学んで参りました。


 中には、芸術や美を語りながら、その実、目的が別のところにある作家さまもいらっしゃるかもしれません。

 人生は一度きり、そのような美意識の著しく異なる作家さまには今後、毅然とした態度を取りたいと思っております。そうできず、うやむやにやり過ごすことは、美への慢心であり、自分自身の尊厳を自らの手で卑しめる行為だと思い至ったからです。

 自分自身の尊厳を自身で守れずして、どうして他者の尊厳を守り、敬意を払うことができましょう・・・。世界の片隅でたったひとりきり、ひっそりと美を紡ぐしか手だてがなくなったとしても、たましいだけは常に気高く清冽でありたいと願っております。



 繊細な美を繊細なまま存在させたい……、繊細な方々が繊細なままゆったりとくつろげる場をつくりたい……そんな思いから美術活動をはじめ、ちひさな文藝キャバレー《霧とリボン》や《菫色の文法》展などを開催して参りました。

 一時期、その不条理な困難さから人間不信になり、いっさいから身を引いてしまおうと思ったこともございました。しかし、訪れて下さるお客様、お気にかけて下さるお客様のご厚意に支えられ、また、忙しい合間をぬって私事に耳を傾け、励ましてくださった敬愛する作家さま方のやさしさに触れ、自身の弱さを反省し、美への忠誠が揺るぎないものとなりました。

 まがりなりにも展覧会を企画し、素晴らしい作家さまにご協力を仰ぎ、そしてお客様をお迎えする立場に身を置くのであれば、美への矜恃をエレガントに示すことは皆様への最低限の礼儀です。……まだまだ程遠くはありますが、気持ちだけは騎士のごとく繊細な美を守り抜く所存です♪



 長年の夢たる会員制のちひさなサロン、来年あたりから活動を始める予定でおります。自宅の一室にさっそく、半喪と菫色の小部屋を作りました♪

 素敵な皆々様をお迎えできます日を楽しみにしております。今後共、どうぞよろしくお願い申しあげます。







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DATE: 2012/04/20(金)   CATEGORY: 随想録
桐の花とカステラと半喪
Noohl_kiri.jpg
写真作品《霧雨の加護》2012


 拙個展《バレエ詩集~半喪のパ・ド・ドゥ~》まであと二週間となりました。

 今回は、ベルギーの詩人ジョルジュ・ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』から夢想したバレエへのオマージュをオブジェや写真作品に閉じ込めた、新作約20点と旧作5点ほどの展示になります。ただいまブリュージュの灰色、繊細優美な半喪の色と向き合いつつ、繊細優美とはかけ離れた姿で最後の追い込みに邁進しております。


 温暖化の影響か、昨今は季節から季節へうつろう時期が飛ぶように過ぎ去ってゆきます。ちょうどこれからむかえる晩春から初夏にかけての清廉なころは、一年の中でも格別に大好きな季節です。北原白秋の歌集『桐の花』の一節を清々しい空気とともに鮮やかに思い出します。


桐の花とカステラの時季となつた。私は何時も桐の花が咲くと冷めたい吹笛(フルート)の哀音を思ひ出す。五月がきて東京の西洋料理店(レストラント)の階上にさはやかな夏帽子の薄青い麦稈のにほひが染みわたるころになると、妙にカステラが粉つぽく見えてくる。さうして若い客人のまへに食卓の上の薄いフラスコの水にちらつく桐の花の淡紫色とその曖昧のある新しい黄色さとがよく調和して、晩春と初夏とのやはらかい気息のアレンヂメントをしみじみと感ぜしめる。私にはそのばさばさしてどこか手さはりの澁いカステラがかかる場合何より好ましく味はれるのである。粉つぽい新しさ、タツチのフレツシユな印象、実際触つて見ても懐かしいではないか。

            ......北原白秋『桐の花』アルス刊(昭和21年)より抜粋
               *一部、正字部分がありますが新字のままとしています



 バレエ・リュスでニジンスキーが振り付け、当時物議をかもした『牧神の午後』、ドビュッシーによる音楽の、フルートの倦怠を予感させる時季でもあります。


 北原白秋の文はこの後、短歌の形式や哀感に触れてこう続きます。

併し私はその完成された形の放つ深い悲哀を知つてゐる。実際完成されたものほどかなしいものはあるまい。四十過ぎた世帯くづしの仲居が時折わかい半玉のやうなデリケエトな目つきするほどさびしく見られるものはない。わかい人のこころはもつと複雑かぎりなき未成の音楽に憧がれてゐる。マネにゆき、ドガにゆき、ゴオガンにゆき、アンドレエエフにゆき、シユトラウス、ボオドレエル、ロオデンバッハの感覚と形式にゆく。

 ……「ロオデンハッハ」とは『死都ブリュージュ』の作者ローデンバックのこと・・・桐の花の季節、半喪の展覧会を催す身にとっては嬉しい符合でした。


 今回の展示は、数年前に書いたバレエ台本《死都ブリュージュ、半喪のパ・ド・ドゥ》を発展させたものです。

 長きに渡り敬愛し、鑑賞してきたバレエの舞台、モダンよりもロマンティックやクラシックを好む者にとっては、男性舞踊手の活躍が身体の衰えとともに変遷してゆく様子を寂しさを持って拝見してまいりました。 
 確かに、エレガントな跳躍やムーヴマンは見る者を幻想の世界にいざないます。しかし、身体の衰えに反比例するように充実してゆく深い、そして翳りのある精神性ほど、男性舞踊手を内側からしっとりと輝かせるものはありません。
 残念ながら現在、その魅力に焦点をあてた全幕物のバレエはほとんどありません。ジョン・クランコ振付作品『オネーギン』が唯一ではないでしょうか。2005年に拝見したルグリ氏のオネーギン(シュツットガルト・バレエ団来日公演)はそれはそれは素晴らしいものでした。若い男性舞踊手では決して表現しえない、複雑な綾織り物のような人物造形でした。

 『オネーギン』の舞台を拝見しながらふと、『死都ブリュージュ』のことを考えていました。これこそ壮年のダンスール・ノーブルにぴったりな物語ではないかしら……と。オデット/オディールのように、外見上はうりふたつの、しかし内面は正反対の二人の女性(亡き妻/踊り子)が登場する物語の構造もまさにバレエの常套句。

 バレエ愛好が高じ、妄想が膨らみ、バレエ台本《死都ブリュージュ、半喪のパ・ド・ドゥ~プロローグ付き全三幕》を書き、2010年ヴァニラ画廊HP内『ヴァニラ画報』に寄稿致しました。併せて、ブリュージュの物語に寄せたオブジェ作品《皮膚と遺髪のネック・ブローチI ~ 夜の喪章》も画廊内に常設展示、今回はこの旧作も出品致します。恐れ多くもキャスティングまでしてみました♪


 桐の花とカステラの時季、『死都ブリュージュ』から夢想したバレエの世界をぜひご堪能にいらしてくださいませ。舞台は一夜のまぼろし、その儚いまでの無償の芸術性への敬意と賛辞を少しでも感じて頂けましたら幸いです。
 ブリュージュの灰色は長々と投じられたカトリシスムの影の色……影と半喪の静謐なる祈りの世界が底流にあります。

 かはたれのロウデンバツハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし 北原白秋

 そして黒色すみれさまの新作CD『すみれ詩手帖』も北原白秋の詩に彩られていらっしゃいますね。「John, John, John~♪ Tonka John♪」と一緒に唄いながら制作中です♪

 

 皆様のお越しをこころよりお待ちいたしております。
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DATE: 2012/03/27(火)   CATEGORY: 随想録
大斎節の香りの日々
 先週の雨曇りの日曜日、厳かな大斎節主日の礼拝に参列した後、セラフィム様主催の「テレーズのちいさなお茶会」に画家の安蘭さまとともに参加してまいりました。

 聖トーマス教会のマタイ受難曲に多くのことを教えて頂き、大斎節(受難節)の色合いがこれまでとはまるで違ったものになりました。
 祈りを捧げる姿には無条件の美しさがあります。跪く姿は美の原点です。
 祈りは沈黙であり、ピアニッシモの囁きです。声高な、長調の美ではありません。

 お茶会の会場となったピアニスト久保田恵子さまのご邸宅、silent music様はまさに、沈黙の美、ピアニッシモの囁きで満たされた希有なる場所、久保田さまの奏でる慈愛に満ちた静謐なるピアノの音色そのままの空間です。

 真っ白な梅の花びら舞うマリア様のお庭を望みつつ美味なるハーブティを頂き、アロマセラピストの安西清香さまご指導の元、エッセンシャルオイルを使用した調香を体験いたしました。

 「キリストの瞳」という名を持つ植物「クラリセージ」の香りに魅せられました。葉とお花の尖端から抽出された香料は導師のような落ち着きと慈愛に満ちた芳香。
 クラリセージをベースに、ローズとゼラニウム、ホーリーフを調合、大斎節にふさわしい、イエス様の涙を集めた香りが仕上がりました。「パッション(受難)」と名づけ、孤高のマタイ受難曲を聴きながら、受難のひとしずくを身につけ悦に入る日々です♪

 帰路、昭和の香り漂うパン屋さんの喫茶室に安蘭さまと共に立ち寄ったところ、テレーズのお茶会・夜の部に向かわれる黒色すみれのSachiさまとバニラ様に遭遇♪ 嬉しきひとときでございました。


 風の乗ってやってきた杉花粉と格闘しつつ受難を想い、ブリュージュを想い、小部屋でひっそり制作に勤しむ日々です。
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DATE: 2012/03/16(金)   CATEGORY: 随想録
失われた時を追憶する哀感
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 失われた時を追憶する哀感……それを閉じ込めたオブジェを「モーニング・オブジェ」と名づけてみました♪(モーニングは「喪」「哀悼」の意)

 わたくしたちは現在を生きていますが、いまこの瞬間にも砂粒のように時は流れ落ち、砂時計の硝子室に砂が降り積もるように過去は堆積され、保存されています。

 ……この、過去という存在がどこかにひっそりと息づいている情趣、そしてそれを追憶するごとに玲瓏を極めてゆく失われし様々……この哀感への執着の原点は、幼き頃に出会った煉瓦色の洋館にあります。

 あのころから、何一つ、変わっていない……つまるところわたくしの一生は、あの館の周囲を巡ることしかできないのかもしれません。悲哀なのは、そんな状況が自分の理想そのものであること……(汗) ある意味、夢を叶えたのかしら・・・?

 追憶、喪、哀悼に魅せられる理由をエッセイに仕立て、以前、或る雑誌に寄稿しました。5月の個展の題材『死都ブリュージュ』にも少し触れています。


「其処には、ひとの痕跡や、ひとが去った後の情緒をうっすらと留めた空気感が、モノや風景とともにに熟成されて、こんこんと眠りつづけている。懐かしくも、どこかよそよそしい過去の幻影が、時折、やさしい日が射し込みつつも、悲しみと深憂に満ちた見捨てられた庭園のように、眠りつづけている。」


 よろしければ、ご一読下さいませ♪
 →「やさしくきよらかな、一枚のうすき墓標」(2006)
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DATE: 2012/03/01(木)   CATEGORY: 随想録
マタイ受難曲
 東京オペラシティにて、聖トーマス教会合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団によるバッハ《マタイ受難曲》全曲を聴いてまいりました。休憩含め約3時間。

 《マタイ受難曲》はこの世で最も愛する曲です。レコードやCDで古い録音から現代のものまで幾つか聴いて参りましたが、思い入れが強い分、自分にとって「完璧な演奏」には出会えずにおりました。

 録音ではフィリップ・ヘレヴェッヘ氏指揮(ボストリッジさんが福音史家、アルトのパートがカウンターテナーのアンドレアス・ショル氏)のものが一番好みですが、テンポが速いのと、青年イエスが脂ぎったバスで歌われることがどうしても肌に合わず、いまだ出会えぬ奇跡を夢見る日々でございました。


 今回の《マタイ受難曲》、私にとって「完璧な演奏」でした。

 古い録音のようにゆったりと始まった演奏、澄んだ合唱は少年と青年による男声のみ、アルトのパートは20歳の内気なカウンターテナー、そしてイエスは清々しいバリトン! ソブラノも禁欲的で素晴らしく、一点の曇りもない、奇跡の《マタイ受難曲》でした。

 最も好きなアリア「憐れみ給え、我が神よ」。切々と繊細に、内気に紡がれる音楽への感動を記す術はありません。

 音楽鑑賞という体験を越え、聖書の言葉、受難の道行きそのものに包まれているようでした。
 キリスト者として、信仰とは何かを正直つかめないでいましたが、生まれて初めて、信仰という扉に触れた瞬間でもありました。

 この日最も素晴らしかった曲は、イエスの死の直後に歌われる合唱。


  いつの日かわたしが逝かねばならぬとき、
  わたしから離れないでください、
  わたしが死の苦しみに耐えねばならぬとき、
  どうかあなたが現れてくださるように。
  わたしの心に
  大きな不安があるとき、
  どうかわたしをその恐怖から引き離してください
  あなたの不安と苦痛の力によって。



 このピアニッシモの憂愁を纏って残りの人生を送ることのできる幸福……

 素晴らしいご演奏にこころからの敬意と感謝を……



  悔い改めの念が
  罪の心を千々にさいなむ、
    この涙の滴が
    好ましい香水となって
    イエスよ、あなたに注がれますように


 
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DATE: 2012/02/23(木)   CATEGORY: 随想録
Ash Wednesday
 2月22日はAsh Wednesday(灰の水曜日)でした。
 この日から、慎しみの菫色の季節、大斎節がはじまります。
 灰の水曜日の礼拝では、一年間手元で大切にしてきた棕櫚の十字架を燃やし、司祭がその灰で信徒の額に十字架を描きながら次の文言を唱えます。

 「あなたは塵であるから、塵に返らねばならないことを覚えなさい」

これは、旧約聖書の次の一節にちなんだ言葉です。

 「お前は顔に汗を流してパンを得る。
  土に返るときまで。
  お前がそこから取られた土に。
  塵にすぎないお前は塵に返る。」
          .....創世記・第3章19節/新共同訳

なぜ「塵にすぎない」かは、ひとつ前の章に記述されています。

 「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
  その鼻に命の息を吹き入れられた。
  人はこうして生きる者となった。」
          .....創世記・第2章7節/新共同訳


 灰の水曜日、という言葉じたい、字面も響きも大変美しく、その美しさを体現するこの日の礼拝が殊の外大好きです。司祭の式服や教会内の布製の備品も菫色になる日です。


 敬愛するポッサムおじさんこと、T.S.エリオットの詩にも《Ash-Wednesday(聖灰水曜日)》と題された作品があります。

 「すみれとすみれのあいだを歩んだひと
  さまざまな緑のさまざまな色あいの
  あいだを
  白と青の衣を、御母マリアの色を着て歩んだひと
  永遠の悲しみを知らずして知りつつ
  ささやかな事ごとを語らいしひと
  人びと歩むときその者たちのあいだを動いたひと
  噴水の力をつよめ泉の水をあらたにしたひと

  飛燕草の青を、御母マリアの青を着て
  乾いた岩をひやし砂をかためたひと、
  忘レタマウナ」

        .....「聖灰水曜日」高松雄一訳より抜粋
          (『エリオット選集』第四巻収録・彌生書房・昭和50年)


 五月の個展《バレエ詩集~半喪のパ・ド・ドゥ~》では、ローデンバック『死都ブリュージュ』から夢想したバレエを中心に作品を制作、発表します。
 灰色に満ちた、永遠の半喪期たるブリュージュ……大斎節の今、灰色という色彩に祈りを込めて、制作に打ち込みたいと存じます♪



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DATE: 2010/01/05(火)   CATEGORY: 随想録
2010
Season's Greetings and Best Wishes
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旧年中は大変お世話になりました
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
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DATE: 2009/12/03(木)   CATEGORY: 随想録
林檎帽子
アドベントですね。

日曜日、昨年と同じようにアドベントリースをつくり一本目の蝋燭を灯しました。そして林檎を使ったスチームドプディング《アップルハット》に初挑戦。耐熱のお椀形小鉢にスコーン生地を敷いて、そこにお砂糖とブランデーで煮た林檎を入れ、さらにスコーン生地で蓋をして蒸すという英国伝統のお菓子(本来は生の林檎を使うそうです)・・・蒸したスコーン生地なるものがいったいどのようなお味か、興味しんしんで待つこと約40分(通常の蒸し器だと15?20分で仕上がるようですが、寄宿舎にある仏蘭西製のリュミナルクのガラス製二段蒸し器では倍の時間がかかりました。。。)

か、可愛い。。。そのできあがりの姿から林檎帽子と呼ばれるようになったのですね。被れないのが残念ですが、コロンとしたお姿は英国菓子らしく素朴なたたずまい。

お味ですが・・・う、うまい! スコーン生地がもっちりしていてなんともいえないやさしい風味。中に詰めた林檎と合うのなんの。甘さ控えめの生クリームとの相性も抜群。いくらでも食べられそう・・・と、手のひらサイズの林檎帽子をひとり2個、完食したのですが・・・お腹がはちきれるぐらい、お腹いっぱいに。

昨年、栗のスチームドプディングを作った時にも思ったのですが、密度が高く仕上がるせいで、見た目の分量と実際の量感に差が。ですのでついつい食べ過ぎ、胃に到達したころに膨張しているのかしら? 脳まで生地が詰まっている感覚に。

今回完食したプディング2個分をスコーンに換算してびっくり。。。スコーン6個分でした。。。さらに、


「あ、お祈りするの忘れた!」


・・・さてさて、何のためのアドベント?
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DATE: 2009/11/15(日)   CATEGORY: 随想録
クロッシェ・ド・ルネヴィル
ルネヴィル刺繍はじめました。

『サイン・シャネル』でメゾン・ルサージュの刺繍工房を見て以来、憧れていました(映画『クレールの刺繍』もこの技法。映画はいまひとつ好きになれませんでしたが)。昨年出版されたエコール・ルサージュの本を胸躍りつつ開いたものの、技法はなにやらちんぷんかんぷん。

そしてそして、実際に初めてやってみて、ハードルが高いのなんの。木枠にオーガンジーを張る作業は実務的ながらなんだか楽しいし、道具類もフェティッシュごころをくすぐられるものが多いのですが・・・かぎ針を使った刺繍が殊の外むずかしいというか、コツをつかむまでに時間がかかりそうな気配。かぎ針右手に繊細なオーガンジーと格闘する姿はちっとも繊細じゃないのですが、まだ始めて数時間なんだから大丈夫と、自分をなぐさめています・・・オーガンジーがボロルックにならないようにしなくては・・・!

オートクチュールもビックリの刺繍作品をいつか此処でお披露目したいわ、と張り切ってはいます♪

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DATE: 2009/08/04(火)   CATEGORY: 随想録
アーデルハイド! その後
↓下の記事を書いた次の日、
届きました。アーデルハイドが。

シックな赤紫色に黒の小花柄、
ぴっちりスタンドになったカラーの縁には
可憐な白いレースが。
身頃の裏地もチロルな雰囲気で愛らしい。

着てみた。

前身頃にはちいさな釦がたくさんあり、
それをひとつひとつかけていった。

と、大いなる謎に遭遇。

釦をかけた延長上、ウェストラインから下へ20cmぐらいが
ぱっくりあいたままになっている・・・
釦があった様子もないし、ホックのようなものもない。

鏡の前に立って見ると・・・
具体的イメージは皆様の想像におまかせしますが、
あられもなく(但し、エロティシズムとは無縁)、かつ、
とてつもなくお間抜けな姿がそこに。

アーデルハイド! どころではない。


・・・・・


だから、黒いロングエプロンがついていたのだわ!
身につけたら無事その穴が隠れました。
エプロン着用大前提の、アーデルハイドワンピースでした♪

(確かに、横ファスナーなども付いていないので、
その穴があいていなかったら、かなり、脱ぎ着が大変です。。。)


しっかりしたコットンなので
今の時期は暑くて着られたもんじゃないけれど、
着た記念に、
寄宿舎にいる猫のモペットと腹心の友にむかって
念のため唱えてみた。

「アーデルハイド!」

モペットは何事か?と寝ていた姿勢を正しつつ後ずさりして
「んにゃぁ?」と。
もともと臆病な猫ですが
とても怖がっていました

エプロンがやや威厳を緩和してしまっていますが
ロッテンマイヤーさんになれるかも?♪

(しかし、なぜ着たくなったかは依然不明)
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DATE: 2009/07/10(金)   CATEGORY: 随想録
アーデルハイド!
紫陽花が咲きはじめた或る日のこと・・・
急に、
ロッテンマイヤーさんのようなファッションが
したくなった。

何故だろう?

とりあえず、オーストリア製の、
あんな感じのヴィンテージドレスを購入。
頸から手首、裾までぴっちり、紫色。
いまごろはJAPANにむけて空を旅しているはず。

じっさい、着用してみたら、
この欲望の所在が明らかになるかしら・・・?



「アーデルハイド!」


鼻眼鏡も必要かしら、ね?
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DATE: 2009/06/05(金)   CATEGORY: 随想録
くま、の行方
先月30日まで行われていた《ヴァニラ蚤の市》
自室で眠っていたあれこれを出品しました

我ながら、ちっともフェティッシュじゃない品揃えに
恐れ多い気持ちでいっぱいでしたが
大正時代の百合の絽の夏着物はさる舞踏家の方が
シーリングスタンプはうら若き男子が購入下さったそうです
そして一番の心配の種だった
イレギュラー・チョイスのくまのポーチも売却済み♪
怪我をしたくまにしかみえない
アヴァンギャルドかつ大きくも小さくもない
微妙な大きさのポーチ・・・
英国から個人輸入したものの
使い道に困り果て、引き出しの中にずっと眠ったままでした

古き良き時代の紳士達がカーを乗り回す際によく
身につけているゴーグル(?)のようなゴーグル、これは
わりかし、ラバー衣服と相性が良いのですが
こちらも売却済み

海洋堂の妖怪食玩は腹心の友からの依頼で出品
少しですが売れました

ミュールも出品しましたが
サイズが小さすぎたらしく残念ながら自室に舞い戻り
靴箱の中でまた眠りについています・・・

どちら様かは存じませぬが
ご購入下さった皆様
本当にありがとうございました♪


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